西表の節祭(シチィ)

旧暦9月です。
18日から始まりました。
この日の干支は「丙申(ひのえさる)」。十干の第三、十二支の第九にあたります。
実は21日から22日に掛けて西表最大の行事である節祭(シチィ)が行われました。
この行事の日取りが干支と大きく関わっているのです。

シチィの起源については諸説ありますが、
正月と農繁期が重なるのを避けるためという説を紹介して前へ進みます。
正月を迎える前の日を歳の夜(トゥシヌユゥ)と称し、
家の柱に葛を巻きつけたり、
出入り口に砂をまいたりして新たな年を迎えます。
シチィでもやはりトゥシヌユゥとし、
翌日のシチィを迎えるために同じような準備をするのです。

シチィ当日、行事は潮が満ちてくる時刻を基準にして順次執り行われます。
全てを紹介するには紙数が限られています。ここでは
把龍世漕い(パーリャユークィ)と節狂言(シチィキョンゲン)を紹介するに留めましょう。

パーリャユークィはいわゆる把龍船競漕の一種です。
(こう言い切ってしまうのは乱暴な説明なのですがここでは便宜上そう理解して下さい)
干立では御嶽前の浜に用意された、
化粧を施されたサバニに入道頭巾を被った漕ぎ手が乗り込みます。
漕ぎ手は櫂を立て、
荘厳な唄(舟ヌジラバ)を歌います。
一節終わると一斉に櫂を水に入れて一漕ぎ。
再び櫂を立て、次の節を歌います。
最後の節を歌いきった時がスタート。
沖に向かい
目印の竹から護岸と並行に舟を走らせ
遠方にある大小二つの岩(トゥバラマ)を回ってきます。
護岸で見守る人たちから一瞬姿が見えなくなる、ここに意味があります。
このとき弥勒世(ミリクユゥ)世果報世(ユガフユゥ)につながる何かを託され、
漕ぎ寄せてくると見立てるわけです。
漕ぎ手(舟子)と船頭(トゥチ)が会場入りする前の儀式があります。
公民館の床に茣蓙を敷き
トゥチを先頭に二組の舟子が腰を下ろします。
チジビ(男性の神人)から
「しっかりとミリクユガフを漕ぎ寄せてくるように」と言葉を掛けられ、
御菜(ウサイ)が振る舞われます。

節狂言はいずれも一人狂言です。
空手で行う座開きの天上天拝(ティンチョウティンパイ)、
馬の絵が描かれた大振りの櫂にまたがって行う早使い(ハヤチカイ)、
川平早使い(カビラハヤチカイ)
そして締めくくりで葉のついた小枝を両手に持って登場する牛追い狂言の
四つを順次行います。

実はこの狂言で使われる言葉が
純粋に地元で使われる言葉とは異なっており、
しかも沖縄本島や石垣の地名、習俗、
ヤマトゥの習俗などが織り込まれ、
あるいは古えの島の青年達が
まだ見ぬ世界へのあこがれを昇華させたものなのかな? と勝手に想像しております。

最後になりました。
日取りの話です。

実は干立の節祭は
お隣租納と併せて国の無形文化財指定を受けており、
様々な保存措置が執られておりました。
その中である文書に
「旧暦9月の己亥(つちのとゐ)庚子(かのえね)の日に執り行われる」
という記述がありました。

最初は何気なしにそう信じ込んでいたのですが、
考えてみると干支の組み合わせは60通り。
旧9月に該当する日取りが来るか来ないか1/2の確率なのです。

その解決策は先月の十五夜の記事にあります。

即ち十五夜で在り物を祀り
新たな命を吹き込むのは
その後に来る最初の日取りでシチィ行事を行う、
それに先だって月の生命力を充填するということではないかと思うのです。

この後に十月願い(シマフサラァ)という重要行事がありますが、
また次回ということに。